どらま!ドラマ!DRAMA! 2nd Season

~日本のドラマ・映画、俳優・女優やシナリオライター(脚本家)などを徹底解剖~

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映画『SP THE MOTION PICTURE』(2010野望篇・2011革命篇)/大義なのか私怨なのか、そして動く壁を完遂するのか動く壁を超えるのか

      2015/07/17

2007年11月のTVドラマ開始から約3年4ヶ月の歳月を経て、『SP 警視庁警備部警護課第四係』シリーズが映画『SP 革命篇(Episode VI<The Final Episode>)』でついに完結しました。以下に感想を記します(ネタバレあり、かも)。

いくつかの(いくつもの?)謎が残ったことや映画で新たな謎が出て来たこと、そしてこれまでに散りばめられた伏線が収拾できていないこと、はたまた続編を匂わせる描写があったことから、Yahoo!映画などでは続編を疑う(願う?)声も少なくないですが、私はこれで完結だと思っています。

何しろ「Final Episode」と銘打っているわけですから。それに国会議事堂+総理大臣という日本最高峰のSP的要素を今回用いて、これ以上描きようがないでしょう(総理大臣はTVドラマ時代からすでに重要な要素ではありましたが)。

日本がダメなら海外を舞台にすれば、という考えもあるかもしれませんが、日本のSPが他国で大活躍というのも奇妙な話でしょう。その手の話は、同じ公務員である外交官・黒田康作に譲ってあげてください。現時点でさえ、役者のキーパーソン(平田満さん、香川照之さん)と菅野祐悟さん作曲の音楽がカブって既視感(デジャブ)が強いので。

とにかく、『日本国に(そして世界中に)巣食う闇』は、革命が成功しようとSPが崇高な精神を持っていようと完全に消え去ることなどないのですから、ダラダラと続けることは避けるべきです。ただ、金城一紀さんは直木賞作家。直木賞作家はエンターテインメント作家。エンターテイン(楽しませる)のためなら強引にでも続編を考えることができる人間であるといえばあるのですが・・・。

私が映画やドラマシリーズを通して気になった点は2つ。1つ目は多くの皆さんと一緒で尾形総一郎(になりすましていた男=堤真一さん)の大義とは何だったのか、単なる私怨ではなかったのか、一貫性がないのではないのか、ということです。ところで今回、死語に近いと思っていた「シエン」という言葉があちこちで使われていたのを見て、意外でした。私怨にぴったりと取って代わる単語がないからでしょうか。「個人的な恨み」では言葉として長いし。

なお、TVドラマ最終回で物議をかもした尾形の豹変ですが、金城一紀さんのシナリオ集によると、企画書の段階から決まっていたことで、取ってつけた設定ではないそうです。ただ、ラストシーンに「つづく」と薄い文字を入れたのは総監督の本広克行さんのアイデアで、原作者・金城さんとしては続編を作る前提で尾形のキャラクターを造形したわけではないようです(それにどんなに続編を作りたくても反響がなければ作れないし)。

いずれにしても、尾形の大義≒革命の目的は「寝ぼけた国民の意識を覚醒させること」。そのきっかけが私怨だったというだけで矛盾とまでは言えないと解釈することにしました。それに伊達(香川照之さん)に邪魔されなければ、その後大義に基づいた大いなる革命が行われていたと考えられなくもないでしょう。

もっと援護すれば、物語においてモチベーションとしての個人的事情、特に私怨、がなければ、見ている者を納得させることは難しいのです。人気作『ガンダム』にしてもシャア・アズナブルの私怨が物語の大きな原動力だったわけだし。だからと言って、1990年代後半からのフィクションによく見られる、何でもかんでも「幼少期のトラウマ」で説明しようとする風潮もあまり感心しませんが。

もう1つは、SPは動く壁であるべきなのか否かという点について、この『SP』という作品はどう描きたかったのかが不明確だったということです。「臨機応変に」と言えばそれまでかもしれませんが、ではドラマ最終回で動く壁を完遂したのはなぜだったのでしょう(最終回のタイトルは「動く壁を完遂せよ」。対して、シナリオ集の帯のキャッチコピーは「動く壁を超えてみろ」)。

あの時、山西(平田満さん)に向けて銃を構えた井上(岡田准一さん)の位置からは、最初、逃げ惑う聴衆が邪魔になって射撃できない状況だったので、銃を引っ込めてマルタイ=麻田総理(山本圭さん)の壁になりに行ったのは、つまりは動く壁を完遂しようとしたのは、理解できます(一方、「革命篇」では、国会議員があれだけ居る中でSPチームはテロリストたちを撃ちまくっていましたね・・・。動く壁を超えすぎている?)。

けれどその後、邪魔な一般人も居なくなり、逃げ続けても音楽ホールで追いつかれてしまうという状況になっても銃を出そうとしなかったのはどうしてでしょう? この逃げ続ける行為も、井上自身が負傷し、なかなかの高齢者の麻田総理を引っ張りながらだったので、早歩き程度の山西から逃げられないというリスクが高過ぎのものでした。これらの点については、各シーンについて随所に注釈を載せてくれていたシナリオ集にも残念ながら解説が見当たりませんでした。

解釈として、両親を殺したに等しい、まさしく「私怨」のある、麻田総理を単純に助けることにためらいがあり、ギリギリまで連れ回して恐怖を与えた、というのも考えられますが、何の描写もなくそこまでの推測を視聴者に求めるのは酷だし、そんなセコい理由は、井上の人間性にはそぐわない気がします。

また、とりあえず井上個人としては「動く壁」を完遂したと言えますが、最終的に山西を狙撃したのは同じSPチームである笹本(真木よう子さん)と尾形。笹本の一撃は山西の動きを止めるために否応なくと見えましたが、尾形にいたっては山西を絶命させたに違いない心臓撃ち。これではSPチームとしては動く壁を完遂したとは言いがたいのではないでしょうか。

この点、金城さんの最初のアイデアでは山西を撃つのは公安の田中一郎(野間口徹さん)で、「警護課にまた貸しができましたね」とニヒルに言って去って行く、というシナリオ。これでは田中が主役扱いすぎるということでプロデューサーから却下されたそうですが、SPの仕事の首尾一貫性を考えると田中が撃った方が良かったのではないでしょうか。ただし、金城さんの着想の理由は、自身に「田中一郎ブーム」が起こっていたからであり、SPの職域がどうこう、という理由からではないのですが。それに、ここで田中が撃っていれば、『SP』というドラマの存在理由も完遂したことになり、続編はなかったかもしれませんね。痛し痒しです。

とにもかくにも「革命篇」は、主演の岡田准一さん、堤真一さんの演技・アクションが素晴らしく、見応え充分でした。その他でも迫力と緊迫感のあるテロ行為やSPチームの躍動に息つく暇がほとんど無い状態でした。途中、閣僚に対する吊るし上げタイムが長く、やや中だるみを感じたのですが、ちょうどその時に映画の中でも、当事者になっていない外野の国会議員たちが退屈そうな表情をしたり携帯電話をいじったりするシーンがあり、よく観客の心理を読んでいるなとドキッとしました。

とりわけ私の興味を惹いたのが、私の不勉強もあるでしょうが、あまり名の知れていないテロリスト役の俳優さんたちでした(「野望篇」も含む)。

◆新人SP(そしてテロリスト)・青池由香莉役=入山法子さん・・・・・まあまあ有名でしょうが、髪を短くしてスタイリッシュになっていましたね。

◆テロリスト・東郷役=谷田歩さん・・・・・国会見学者として潜入。眼光鋭く筋肉質な立派な体格で、テロ行為の導入部分を支配していました。

◆テロリスト・中里役=高橋努さん・・・・・公安の田中一郎をフルボッコ(半殺し)にし、井上にも破壊力のあるパンチやキックを繰り出し、激しく格闘した武闘派。

◆テロリスト・菊地役=眞島秀和さん・・・・・作業着と無精ひげがよく似合っていましたね。

◆テロリスト・内藤役=板垣雄亮さん・・・・・東南アジア系の顔つきで謎めいていました。

◆そしてラスト近くに出て来てくれました、私の大のお気に入り、リバプールクリーニングの四人衆(ジョン役→多田淳之介さん、リンゴ役→日下部そうさん、ポール役→チョウソンハさん、ジョージ役→中川智明さん)。ポールとジョージも復活していて、テロリストなのに「出所おめでとう!」と心の中で叫んでしまいました。

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