どらま!ドラマ!DRAMA! 2nd Season

~日本のドラマ・映画、俳優・女優やシナリオライター(脚本家)などを徹底解剖~

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それでも、ドラマ『恋人よ』(1995年10月19日~12月21日)の評価は揺るぎない

      2015/07/11

ドラマ『恋人よ』は脚本家・野沢尚が描いた「夫婦三部作」の集大成とも言える作品で、この『恋人よ』を合わせて「夫婦四部作」と呼ぶ人もいます。私もその一人です。

※五輪真弓の名曲『恋人よ』と区別するために、私はおおむね“ドラマ『恋人よ』”と表現します。

夫婦三部作とは、いずれもフジテレビの木曜劇場枠(22時~22時54分)で放送された野沢ドラマ、『親愛なる者へ』(1992)、『素晴らしきかな人生』(1993)、『この愛に生きて』(1994)のことですが、3作目の『この愛に生きて』がサスペンス色が強くなりすぎた感があり、“夫婦”についてもう一度正面から描いてみようという気持ちが働いて『恋人よ』が生まれたのではないかと推測しています。それも、じっくりと丹念に。その証拠に、この連続ドラマが始まる前に小説版『恋人よ』(上下巻)が完成して、出版されていました。強い意気込みが感じられます。そして、92年からオリジナルの連続ドラマを年に1本ずつ書いてきたのに、96年はいったんオリジナル作品は休止することになります。これもドラマ『恋人よ』が野沢ドラマの集大成たる証左です。97年からは路線がいくぶん変わることになるので。

ところで、上記の3作品を「夫婦純愛三部作」と“純愛”付きで紹介しているWebサイトが散見されますが、それは違うと思います。まず、公式サイト(http://nozawahisashi.jp/)では“純愛”とは付けていない。私の記憶も同様です。次に、フジテレビは1990年~91年の月9ドラマ『すてきな片想い』、『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』で「純愛三部作」という単語を使っているので、同じにはしないのではないかと。そして何より、“純愛”と定義するのでは野沢さんの真意は伝わらないことになると思います。

なお、「純愛三部作」の中で2作品の脚本を担当したのが野島伸司さん。1990年代は野島伸司と野沢尚が鎬(しのぎ)を削ってドラマ界を牽引していったと言うことができるでしょう。この点についてはいつか改めて考察したいと思います。

さて、このドラマ『恋人よ』は、視聴率はあまり高くありませんでしたが、セリーヌ・ディオン with クライズラー&カンパニー(葉加瀬太郎の情熱的なヴァイオリン!)の主題歌『To Love You More』、綺麗な映像(その名の通り「光」にこだわりまくった光野道夫監督)、役者たちの重厚な演技(鈴木保奈美の絶頂期の輝き!)、そしてもちろん脚本の内容の相乗効果で、根強いファンを抱えていました。しかし、洋楽の版権などがネックとなりソフト化が叶わずにいました。

そういえば『To Love You More』は日本でミリオンセラーになりましたが、曲の良さもさることながら、当時の8cmシングルCDとして破格の500円だったことも要因の一つでしょうね。

ところが、2004年6月に野沢さんが急逝してしまったために、過去の作品を見直す動きが起こり、哀悼の意味をこめて、年末にはDVD化が実現しました。これはとても皮肉な話ですが、亡くなってなお花を咲かせた愛永(まなえ)の姿を彷彿とさせます(野沢さんの自殺についてもいずれ考察したいと考えています)。

ただし、残念ながら、やはりDVDではいくつかの部分で音楽が差し替えられています。特に残念なのが、第6話でボロボロに傷ついた長瀬智也(ボロボロに傷ついたのは自業自得なんですが)を鈴木保奈美がご近所の目もはばからずに抱き締めてあげるシーンで流れていたシカゴの『Hard to Say I’m Sorry―素直になれなくて』が歌唱なしのインストゥルメンタル曲に替わっていたところですね。

ここからようやく本題ですが、今回のタイトル、「それでも……評価は揺るぎない」とはどういう意味でしょう? 答えはラストシーンにあります。私の、野沢さんの足元にも及ばない脚本で再現してみましょう。

葬式を控えた深夜、愛永の遺志に従い、航平は愛永の遺体から二人の絆である小指を切り取ります。そして、荼毘(だび)に付した後、約束の地・沖縄に向かい、想い出の場所に小指を埋めました。その後のシーンからです。

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【キャスト】
愛永……鈴木保奈美
航平……岸谷五朗
遼太郎……佐藤浩市
粧子……鈴木京香
安輝(あき)……子役

×   ×   ×   ×   ×
四年後、再び沖縄。
(背の高いサトウキビ畑の?)草むらの中の道を、航平と、遼太郎・粧子夫妻、そして二人に手を引かれた五歳の安輝が歩いて来る。
粧子「安輝、大丈夫?」
安輝「だいじょうぶ」
遼太郎「ずいぶん歩いたな」
航平「あの時は車だったからな」
遼太郎「(苦笑して)通夜の夜にそんなことしでかしたとはな。見つけたらただじゃおかなかったぞ」
航平「……(苦笑を返す)」
粧子「でも、どうして愛永さん、四年も待たせてあなたをここに呼んだのかしらね」
遼太郎「そう、そこが不思議なんだよ」
航平「最後の手紙に、こうあったな……。『その時までのお別れです。でも私たちはきっと再会できるのです。結婚式の一時間前に交わした約束を、半年後に実現したように、私は必ず約束を守ります』」
――数分後。
四人、南国の樹林の中を歩いて行く。
航平「もうすぐだ!」
遼太郎「安輝、だっこしてやろうか?」
安輝「だいじょうぶ(と駆け出す)」
粧子「危ないわよ、安輝」
林を抜けて、海が見える崖に出てきた四人。
安輝「――(目をみはる)」
航平「――(目をみはる)」
遼太郎「――(目をみはる)」
粧子「――(目をみはる)」
四人の見つめる崖には、真っ赤なブーゲンビリアが一面に咲き誇っている(※ここで『To Love You More』がカットイン)。
そこは四年前に航平が愛永の小指を埋めた場所だった。
遼太郎「なんだ、こりゃ?」
航平「ここで愛永が、生きていたんだ!」
遼太郎「……」
粧子「……」
航平「…………(ブーゲンビリアを見つめて、回想する)」
×   ×   ×   ×
四年前、二人で旅行した時の愛永。
愛永「私にもし、力があったら、あの頃のように、もっともっとおびただしく花を咲かせてあげたい! そしてあなたにもそれを見せてあげたい!」
×   ×   ×   ×
遼太郎「…………(回想する)」
×   ×   ×   ×
夜のバー、カウンター席での愛永と遼太郎。
愛永「真っ赤なブーゲンビリア……。真紅の地球……。いつかあなたにも見せてあげたいな……。いつか連れてってあげる!」
×   ×   ×   ×
遼太郎「愛永…………、いい人生だったな!」
航平「……」
粧子「……」
安輝「キレイだねぇ(と岩場から砂浜に降りて行く)」
粧子「気をつけて」
航平「……」
愛永の声「お話ししましたよね」
安輝、砂浜を駆けて行く。
愛永の声「私も五歳の時、その場所を走り回ったのです。今あなたが見ている光景は、すなわち私の少女時代です」
安輝の走る姿に、四年前の愛永の姿がダブる。
愛永の声「これも一種の輪廻とは言えないでしょうか」
――数分後。
航平、愛永の小指を埋めた辺りの場所に一人で立っている。
愛永の声「航平さん!」
航平「――!(振り返る)」
幻の愛永、ブーゲンビリアに囲まれて笑顔で立っている。
愛永「ありがとう!」
航平「……(再会にむせび泣く)」
愛永「私の身勝手な愛に応えてくれて、ありがとう。私は心であなたを愛しました。それを最後まで貫き通せたことは、今の私の喜びです。……心の炎は、最後まで熱かった?」
遼太郎と粧子、再会を果たしたであろう愛永と航平を見守っている。
愛永「本当にありがとう、航平さん」
航平「ありがとう! ……愛永!」
愛永、笑顔で応える。そして寂しげな表情になる。
愛永「……そろそろ筆を置く時が来たようです」
航平「…………(泣いている)」
愛永「今はただ、あなたのこれからの長い人生に、ゆるがせのない幸福がもたらされることをお祈りいたします。くれぐれもお体を大切に。さようなら航平さん。さようなら……」
航平「……(泣いている)」
愛永「かしこ。――宇崎航平さま」
航平「……(精一杯の笑顔でうなずく)」
愛永「宇崎愛永(と微笑む)」
――ブーゲンビリアと海の全景になって、エンドロール(セリーヌ・ディオン熱唱!)。

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いかがですか? どこに問題が?

幻の愛永の台詞は、愛永が書いた手紙のようだが、航平はその内容をいつ知ったのか? もし航平が最初から読んでいたのならブーゲンビリアを見ても感動することはなかった? 確かにそれは言えるかもしれません。「最後の最後の手紙(恋文)」として、航平が愛永から目的地にたどり着いてから読んでほしいと託された手紙を持っているというシーンを入れていた方がよかったかもしれませんね。
でもここはあの流れからすると、特に問題ではないでしょう。

問題は「ゆるがせのない幸福」です。

「ゆるがせのない幸福」? 「ゆるがせ」とは「いいかげんにしておくさま。おざなり」という意味です。「いいかげんじゃない幸福」……、まあ、伝わらないことはありません。しかし「ゆるがせ」は「ゆるがせにしない」といった表現で使うものです。

野沢さんの小説(幻冬舎文庫版・2001年初版)を見ると「ゆるぎのない幸福」となっています。「ゆるぎ」は「揺れ動くこと」なので、「ゆるぎのない幸福」なら「揺れ動かない、しっかりとした幸福」で、意味は伝わります。脚本にもきっとこう書かれていたはずです。

何で保奈美さんは間違って、周りのスタッフも気付かなかったんでしょうねえ。大事な大事なラストの台詞で。野沢さんも「ゆるぎのない」ではなく、慣用表現である「揺るぎない」にすればよかったのに。もったいない。

だけれども、とにもかくにも、タイトルにあるように、この作品の評価は揺るぎないのです。

 

【2009年7月2日追記】

あれから、ハードカバー版の小説『恋人よ(下巻)』(1995年10月30日初版第一刷発行、1995年12月10日第四刷発行)を入手して、「ゆるぎのない幸福」の箇所を念のため検証しました。すると、何と、「ゆるぎない幸福」となっていました。文庫版と違い「ゆるぎのない」の「の」がなかったのです。これで謎が深まりました。台本にはほんとに「ゆるがせのない幸福」と書いてあった可能性もあるのでしょうか? 野沢さん、こんなところにまでミステリーを残さなくても……。

 

【2010年10月13日追記】

さらに、1996年9月発行の扶桑社文庫版の『恋人よ(下巻)』を古本屋で目にしました。何と何と、ドラマのセリフと同じ、「ゆるがせのない幸福」となっていました。つまり、小説の文章の変遷としては、「ゆるぎない」(フジテレビ出版・ハードカバー)→「ゆるがせのない」(扶桑社文庫)→「ゆるぎのない」(幻冬舎文庫)。この変更に野沢さんはどれだけ関わっているのか……。やはりミステリー。

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